仏教の最高峰 頂乗仏教学舎  路傍の如来 多々方路傍石

如来品正師 多々方路傍石のブログ

有無同然

物質文明の真っ只中に生き.無明(無知)ゆえに欲望に翻弄されてドゥッカ(不安定.不完全.苦しみ.憂い.悩み.心痛.不満.迷い.悔い.哀しみ.儚さ.弱さ.脆さ.空しさ.無常.…)の中にいる多くの人達が[有無同然]を理解してくれたら幸甚なのであるが…。
現代人の多くは、資本主義社会に洗脳され、所有の次元の事物(金銭.財産.持物.地位.名誉.名声.肩書.称号.権力.勢力.評価.評判.承認.理解.家族...)に魅入られ.翻弄され.執着し.惑い.悩み.迷い.恨み.悔い.藻掻き苦しみながら、その所有の次元の事物を依り処(精神的支柱)としながら、それらによって得られる僅かな喜び.楽しさ.幸せと引き換えに.多くの苦しみや不満を抱えながら生きている…
財なければ.また憂いて、財あらん事を欲し
家なければ.また憂いて、家あらん事を欲し
もし財あれば財で憂え、家あれば家で憂う…
有無、同じく然り
この句は、[そんな処(所有の次元の事物)には、本当の安楽も喜びも幸せもないよ!無明(無知)だから.そう錯覚しているのだよ!]と言う教えである
無明な人は、無いからと苦しみ、有ればあったで奪われる恐怖、維持管理してゆく苦労、失う憂い、変化してゆく苦しみの中を生きるもの、無明な人は、有っても無くても苦労するものなのさ。

人が本当に必要とするものには限度があるが.人の欲望には果てがないものである[煩悩(存在欲)に起因する果てしない要求に幾ら応えた処で真に心を満たしてくれる事も真に平安に導いてくれる事もなく、更なる要求をしてくるだけ]なのにそんな煩悩に翻弄され続けているだけに過ぎず、もし所有物が[無ければ無いなりに楽しく幸せならば、有れば有ったでやはり楽しく幸せなもの]であり、所有物が[無いから苦しいのであって.もし有ればきっと不満なく.楽しく.幸せに暮らせるだろう]と錯覚している人は、所有の苦しみを識らぬ人であり、結局は有れば有ったで足る事も満たされる事もなく所有の苦しみの中で、もっと欲しい.もっと欲しいと決して満たされる事のない煩悩(存在欲)の要求に応え続け、決して安定的で堅固な満足も平安も歓びも幸せも得ることなど出来ず一過性で短命な小楽に一息つきながら、齷齪しながら生きてゆく事となり、もしその所有物が無くなれば、依り処(精神的支柱)を失う事ともなり.人生を儚んだりする。
⚫人は皆、喜び.楽しみ.幸せを求めて生きている…今まさに自殺しようとする人さえ.その中に幸せや安堵を見い出しているのである。
満たされてない.足りていない.幸せでない.楽しくない.嬉しいない.快くない.嬉しくない.不安定な感覚を、足り.満たされ.幸せで.嬉しく.楽しく.快い感覚へと転ずる事を欲しながら生きている。
⚫今ある幸せに気付く
数え上げれば幾らでもある筈
⚫本質的には快楽物質(ドーパミンセロトニンなど)の分泌によった多幸感や快楽などの感覚を生じさせているだけであり同じく体内分泌物質により不満.恐怖.怒り.不安.不幸感などあらゆる感覚を生じさせているだけであり、人々が求めて止まない幸福も喜びも感覚的なものであり叡智と真実(真理)に基づいた心の制御(コントロール)能力の問題であって所有の次元の事物の所有量の多寡ではないのに、所有の次元の事物の所有の多寡によると錯覚してしまい魅入られ渇望しているのです。
⚫所有の次元の事物(金財・物欲・地位・名誉・権力・勢力・理解・承認・健康)は、それらの感覚を与えてくれる。
だから今以上所有すれば今以上の満足、幸せ、快感、安定感などを与えてくれると錯覚する。
しかし短命で減衰してゆく一時的な位、一時的な感覚に過ぎない、しかも所有には維持管理や盗難・紛失・毀損・劣化などへの憂いが伴う。
⚫所有の次元の物事は決して生きる目的物ではなく.便宜的.付随的(手段)なものでしかなく、存在の価値を高めはしない。(所有物の輝きで、自らが輝いていると錯覚する)
⚫所有の次元の事物が、無いと不安で苦しいから有れば幸せだと錯覚し、それらを求めて或いは守ろうと執着して日々、朝から晩まで動いている。
⚫金持ちだろうが貧乏だろうと、学が有ろうが無かろうと常ならざる無常なるこの世界で生きるとは、一挙手一投足から万事において望み通りには運ばないし、思い通りにはいかないものである。
⚫ドゥッカ(苦・心痛)の多くは人間の力ではどうしようもない物事に対してさえも執着してしまう自我意識であり煩悩であり、錯覚して固定的・永続的・常住的に捉える自我意識や煩悩に常ならず変化生滅してゆく無常な世界の現実を明晰に理解させ執着の自縛から解き放たれなければ良し悪しの中を流れながらドゥッカ(苦.心痛)へと行き着くのが理法(自然法則)である。
⚫人は皆、無明(無知)の闇を縁起により条件付けられて生まれてきている。(暗夜行路をゆくが如く、一寸先は闇なのである)
⚫自分と呼べる物質的にも精神的にも固定的で実相的なものなど無いのに五つの要素が結合し、集合要素の機能として意識(潜在概念)を生じさせる時、自我意識という固定的で実相的な自分本位で自分中心的な主宰的本質(魂・霊魂)を妄想する。
⚫自我意識に基づいて物事を固定的・実相的で永遠に変化も消滅もしないものだと錯覚するからドゥッカ(不完全さ・不安定さ・苦・心痛・悩み・哀しみ・脆さ・弱さ・儚さ・空しさ・怖さ・惨めさ)へと行き着く事となる。
⚫誰を失なおうが、何を失なおうが、何が起ころうが何が起こらなろうが、たとえ不幸が訪れようと幸福が訪れようが常なく変化生滅してゆく無常な世界では当然なことでしかなく、自我意識が自分は特別であり自分には悪い物事、不幸、罹災など起こらないだろうと備えを怠るからドゥッカへと行き着く事となる。(自業自得)
⚫真の救済とはこの現実を理解させることである。
⚫しかしこの現実を後ろ向きにマイナス思考で捉えてはならない。
常ならず無常で変化生滅するから努め励む価値があり、生きる価値があり、夢や希望があるのである。
沈む太陽があるから昇る太陽があり、滅するものがあるから新たに生じるものがある。
⚫万事、思い通りになる世界など多分、三日で飽きる筈である。
思い通りに行かない無常なる世界だからこそ、力強く前向きに楽しみ幸せを味わい飽きずに生きてゆく価値が見い出せるのであり、思い通りにならない世界に打ち勝つ事こそが真の勝利者である。
⚫所有の次元の物事は決して生きる目的ではなく付随的(手段)なものでしかなく存在的な価値を高めはしない。(所有物の輝きで、自らが輝いていると錯覚する)
⚫物事(所有の次元の事物)は、煩悩の欲求を刺激する。
⚫煩悩の欲求とは.突き詰めれば.永遠に存在していたいと言う本質的欲求である。
⚫人は皆、その意味も解らず感覚的に、楽しく有りたい。幸せになりたいと渇望している。
無明(本質的無知)の闇の中を手探りで盲目的に彷徨っている…
暗夜行路を行くが如し
⚫五集合要素(五蘊)は外界に意識を向け、自分に楽しみ快楽、幸せを与えてくれそうな物事を探し廻り、不善処(貪欲・瞋恚・痴愚・渇望・愛着・欲得)に陥る。
⚫それらの反対の感覚が苦(ドゥッカ)であり、楽しみ、喜び、快楽、幸せな感覚や欲望が、自分の望むがまま.思い通りにはならない事により現れる。
⚫無常な世界(常なく全てが変化生滅してゆく世界)に於いて、全て(自分、世界、現象、存在)は自分の思い通りに成っては行かない。ドゥッカ(苦・悩み・心痛・迷い・儚さ・哀しみ・空しさ・惨めさ・怖さ・無力さ)へと行き着く。
⚫物質文明が果たして人類を幸せにしただろうか?
⚫知識や情報が果たして人類を幸せにしただろうか?
物で溢れる社会や、垂れ流される知識や情報により、却って人々を惑い迷わせている。
所有物や知識や情報の有るか無いかとか、その多寡(量)により幸せや満足感を量ることなど出来ない。
⚫金持ちや権力者が幸せとは限らないし.知識人や学者が満ち足りているとは限らない。却って心配や不安や後悔や苦悩は多く.平穏で静逸な充実した幸せは少ないもので、所有の次元の事物を失う恐怖・減らす恐怖・毀損する恐怖・奪われる恐怖・騙し盗まれる恐怖とか追い求める空しさ儚さの中を不安定に生きているから必ず悔いる。
⚫所有の次元の事物に魅入られるのは幸せに生きていたいという煩悩の欲求の暴走でもあり、幸せに生きる目的の為の必要性・存在的な価値は、煩悩(存在欲)を制御(コントロール)して身の丈にあった必要量を満たし、それ以上の負担を増やさず少欲知足を心掛ければ、常ならざる無常な世の中にあって物事に必要以上に執着する事なく、思い通りにならない無常な諸行、望むように運ばない無常な物事にドゥッカ(苦)を造りだす事もなく、平安で満ち足りて快く楽しい幸せな日々を生きられる