如来品正師 多々方路傍石語録ー10

お互い様とお陰様

如来品正師 多々方路傍石 語録
他人様を 馬鹿だ阿呆だと 罵るならば
罵る方が 馬鹿阿呆らしい。
拙僧も 口に出さねど 馬鹿阿呆らしい

日本人なら.凡その人なら知っているだろう
平家物語の冒頭部分」
祇園精舎の鐘の音、
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理を現す
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
猛き者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
いろは歌
色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず
方丈記の冒頭」
ゆく河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず
淀みに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
世の中にある人とすみかと
またかくの如し…
何れも.常ならざる世の中[諸行無常]を
謳っている、そしてこの無常法が理解出来れば、凡そのドゥッカ(苦悩.心痛.儚さ.哀しみ.空虚さ……)から解き放たれるのだが、知識としては日本人のほぼ全員が知っていながら、本当には理解していない人が殆どだから、世の中には不満.欲呆け.吝嗇.怒り.無責任.承認欲.自我.無明などで溢れ返り、魅入られ.捉われ.拘り.執着しながら、無常法に翻弄されてゆく。
無明な人は、無常法は厭世的だと思う。
無常だから、イノベーションは生まれ、
己の愚かを知らず.変われない人は.常に愚かなままだが、己の愚かを知り.変化精進して賢者となるのも.常ならず無常な世界だからこそ。

如来品正師 多々方路傍石 語録
涅槃(ニルヴァーナ)は大楽の中に顕現する
大楽は、静逸の中に顕現する
静逸は、満ち足りた心の中に顕現する
満足は、足るを知る心の中に顕現する
知足は、智慧の中に顕現する
智慧は、八正道の中に顕現し、
叡智は、無明の闇を晴らし.目覚め(覚醒).乗り越え(超越).解き放たれ(解放)、虚妄を捨て去り(捨離)自由な水の一滴となりて顕現する


如来品正師 多々方路傍石 語録
銀も黄金も珠も何せむに 勝れる宝 人徳に及かめやも
子を財と執するは愚かにて 親は人徳の師匠たれ
如来品正師 多々方路傍石 語録
新興宗教の教祖と言われる連中の宣う不可思議体験などというものは、凡そ嘘八百か.パラノイアな妄想か.欲深い瞑想に現れる自己暗示の反映に過ぎないのだが、現実逃避的な不思議に魅せられる無明な人達を捕り込んで勢力を築くものだが、幾ら何でも連中が称する何百万人とか何千万人という無明な愚か者は居ないだろう、(否、そう願っている)・・・笑
如来品正師 多々方路傍石 語録
無常を理解しているつもりで居る.本当には理解できて居ない人は変化生滅に嘆き悲しむ、無常を理解するならば何が去り何が訪れようと当然として心が動ぜぬもの。無常に悔いるとは、金貸しから借金しといて、返す段には金貸しを人非人だ!鬼だ!悪魔だ!と誹る人、いずれ人生の終わる日が必ず訪れる如し
如来品正師 多々方路傍石 語録
能書きとなってしまっている釈迦尊(ブッダ)の説かれた教えの一つが[優等劣]の比較.分別を無くす事だと解釈されている点であり、待機話法にしても.その人のレベルに沿った説法を心掛ける意味に於いても優等劣は推し測らねばならない
この教えは間違った自分自身への評価への戒めであり、自分は他人より優れている・等しい・劣っていると言うような確証の裏付けのない妄想的な邪推はするなという事であり、例えるならば真の金持ちはキラキラで派手な出で立ちなどはしないもの、金持ちを主張しているような、外見的.印象的な金持ちとはエセか成金に過ぎないし、兎角、知識や学歴などを披露したがる連中には教養や智慧がないものである。

如来品正師 多々方路傍石 語録
鈴の音の 仔猫の声に 癒やされて
親猫のギャングの如き ドラの声
如来品正師 多々方路傍石 語録
運命を変えたければ、性格を変えなさい
性格を変えたければ、習慣を変えなさい
習慣を変えたければ、行動を変えなさい
行動を変えたければ、言葉を変えなさい
言葉を変えたければ.考え方を変えなさい
運命は、性格によって造られ
性格は、習慣によって造られ
習慣は、行動によって造られ
行動は、言葉によって造られ
言葉は、考え方によって造られる
運命を変えるとは、考え方を変える事

如来品正師 多々方路傍石 語録
不動明王
不動とは足腰重く.動かざる事ではなく
艱難辛苦に塗れようと、動ずることなく泰然自若と落ち着いている人の事
そんな人こそ不動明王なのではないでしょうか。
令和の世を迎えても尚、今だにお空の上とか天界に居るのだと嘯く.モーハやバーラから目覚めましょう。
[ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン]
[ノウマク サンマンダ バザラダン センダン マカロシャダヤ
ソハタヤ ウン タラタ カンマン]
如来品正師 多々方路傍石 語録
二つの道ありと言う、一つは利得への道.
もう一つは安らいへの道
しかして全ては安らいへの道のみであり.
安らいの為に[所有の次元の事物]を要するか.要さないかだけ。
仏の教えとは[所有の次元の事物]を要さず.堅固なる安らいの世界を恵ぐもの。
愚かで無明な人々は安らいを求め.利得を欲し.渇望して所有の次元の事物へと向かい、却って少しの安らいと多くのドゥッカ(苦)の中を彷徨ってゆく。
如来品正師 多々方路傍石 語録
死というゴールへ向かって歩む.この道を
笑って生きるも一生、泣いて生きるも、悩んで生きるも、
怒って生きるも一生なれば、楽しく生きた者の勝ち
人生…雨降る日あれば、天気の日もあり、
風吹く日あれば、そよぐ日もあり、
山があれば、谷もある、
雨に動ぜず、風にもに動ぜず、
山にも谷にも、動ずることなく、
天気の日にもまた動ぜず、
ゴールへ向かって一歩一歩と踏みしめて
如来品正師 多々方路傍石 語録
凡僧は道に阿り 愚僧は道に惑い 名僧は道をつくる
如来品正師 多々方路傍石 語録