頂乗仏教学舎  路傍の如来 多々方路傍石

如来品正師 多々方路傍石のブログ

天上天下唯我独尊

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「天下天下唯我独尊」とお釈迦様が、誕生されて直ぐに七歩あゆまれ仰ったと.実しやかに伝わっていますが.仏教を多少でも理解していれば.それが有り得ない.偽りである事は自明の理だと思うのですが、疑わずに鵜呑みにする事に飼い慣らされてしまった盲目的で無思考な人が多いので.敢えて検証してみたいと思います。
●先ず.生まれたばかりで言語習得もしてない時に、幾らお釈迦様でも仰っしゃる訳がないだろう・・・という見解が一般的見解です
●又、お釈迦様以前の七仏のお一人の仰ったお言葉を.お釈迦様のお言葉とされたという見解も、仮にも仏とされた方が仰る理由がないので故事つけに過ぎないでしょう。
●前向きに捉えた説に、[盲亀浮木]でも喩えられるように、人の身として生まれる事の難しさと.人の身として生まれる事ができた幸運は、それだけで天上天下唯我独尊と言い現せる幸せな存在である事を説かれたのだと言う見解も、一つ説得力に欠けますね。
⭕結論 仰らなかった!
天上天下唯我独尊とは、無明な子供から大人までが潜在的に考えている事であり.自我意識は[自分という存在は特別な存在]だと考えているのです。
お釈迦様の教えでは、無明な人とは.そんな[私・自分・我]という間違った意識.観念から苦を造り出しているのだから、私という存在は.身体にしても.感覚にしても.識別作用にしても.記憶にしても.感情.意志にしても.意識にしても(五蘊作用)は、変化生滅してゆく無常な現象に過ぎない事に気付き.目覚めて.私への捉われ拘り執着を乗り越え.無欲恬淡な[無我]の境地を説かれたのであり、自我意識を滅却したお釈迦様には[天上天下唯我独尊]という自尊心が高じた自我意識がある筈がなく、この言葉はお釈迦様の権威を必要とした真の仏の教えを理解していない信仰宗教団体あたりが、神格化されたお釈迦様の権威を高めようと画策して流布させたものと見受けられるのである。
無明であるが故に、この根拠のない[天下天下唯我独尊]という自我意識が、あらゆる争いやドゥッカ生み出している事に気付くこともなく。
自分はそんな事はないと思っている人も、それは社会認識の前に.自己認識を錯覚しているだけであり、人間とは無明に生まれて来ているというか、無明だから生まれて来たと言え、光の世界(彼岸)に生じた闇が誕生の因縁(縁起)でもあるのだから。
新興宗教の教祖とか神仏が現れたとか人々を救い導くために生まれたとか宣う.妄想的な人も.自分が生まれた因縁が.無明だからだと覚り、無明の闇を晴らす事に努め励み、[天上天下唯我独尊]という自我の妄想から目覚めてほしい。

🔵ドゥッカ
不安定さ・不完全さ・苦しみ・悩み・迷い・心痛・嫉妬・憎しみ・恐怖・哀しさ・悔い・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・不満・無常さ・無明・欲・渇きなど