路傍の如来の説法−5〈残暑の頃の集い②〉

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青年が突然に路傍の如来への改宗とも言える帰依をするのを見て、件の青年と連れ立って来たのであろう.以前から集いに参加していた青年が立ち上がり口を開いた。
「彼れは.路傍の如来のお話に感激のあまり突然に路傍の如来へ帰依する事を決めたのでしょうが、実は.僕たちが今日伺った一番の目的は[現世利益について]でして、路傍の如来が説かれる仏教の現世利益が今ひとつ解らない処があるのです。
路傍の如来は明確に苦行を否定されて居られますが、路傍の如来の生き様はストイックな禁欲主義的な苦行の実践者そのものに見えてしまうのですが、路傍の如来が説かれる[来世の利益]については随分と理解できたつもりですが、路傍の如来は[現世利益]については.どのように説いていらっしゃるのか、是非.お教え下さい。」

路傍の如来は.その微笑みを崩さず話し始められた。
宜しい.宜しい..躊躇うことなく.率直に今.ある疑問を尋ねる事は大変大切な事だよ。
一見、当たり前なもの事.詰まらないもの事.下らないもの事.どうでもいいもの事と感じている中に貴重な宝玉が隠れていたりするものだから.無思考に思い込んではいけない。
仏教は無欲恬淡に生きよ!と説く、煩悩(究極的には存在欲)を汚穢の如く説かれるが、勘違いしてはならない、無欲.離欲とは欲望から離れる事ではなく.煩悩も渇愛(渇望)も然りである。何故なら人は皆、それら本能的な欲求により生かされているのであり、故にそれらを[生存の素因]とも言う。
もし仮に人から欲望.煩悩.渇愛などをただ取り去るのだとしたら、それは悟りに至るどころか.無気力な廃人的な存在しか残らない。
仏教の説く欲を捨てるとは昨今はやりの[断捨離]のように物や事を捨てるのではなく、捉われ.拘り.執着してしまう心を捨てる事である、そして何故.捉われ.拘り.執着してしまうのかと言えば、それは無明(無知)で暗愚で無常性.空性(物事は常ならざるもので変化生滅してゆく本質)を心が理解できないからに他ならず、無明(照らす明かりもなく)に.盲目的に手探りで何とか生きてる心を.真理(真実.現実.事実.実相)の光で灯し.暗愚な心に智慧や叡智を顕現させ.無常性.空性を理解させ.主体的な目的物と.客体的な便宜的な付随物とを明確に認識し理解させ、便宜的.客体的なものに過ぎない所有の次元の事物を所有してゆく事による短命で虚しい感覚的な快樂.喜びが、捉われ.拘り.執着する価値のないものであると、気付く事ができれは.自ずと捉われ.拘り.執着は脱落し.捨て去り離れ、堅固で安定的な平安.悦楽.静逸.歓喜が残るのだよ。

常ならず変化生滅しながら流れてゆく此の世界で.物事を錯覚して固定的に捉えようとする認識が、人間の力ではどうしようもない.この変化生滅までも受け入れる事が出来ずに
苦(ドゥッカ)を造り出して居るのだよ。死を怖れ苦しみ.病を怖れ苦しみ.老いを怖れ苦しみ.心が休まる事なく.満たされる事のない心で.安定して穏やかに在る事を知らず、却ってそれが為に寿命を縮め.病を招き.精力を失なう事も知らず、ただ永く生きれば良いというものでもないが、煩悩は只管それを願っているのだから、人知を越えた得体の知れない神や仏や怪しげな霊能力にも縋ろうとする。
昨今は、神や仏の代わりに最先端科学理論の[量子力学]に託けた.無明な人達を誑かそうと
する引き寄せの法則(昔からあるマルチ.カルトの類)が、人間の持つ盲目的な欲望と情緒に漬け込もうと画策しているようだ。
何時まで在る訳ではない[生]だから、一瞬も無駄にする事なく[生]を表現し味わい尽くす
今ある幸せに気付きさえすれば毎日を楽しく満ち足りて前向きに生きられるのに、無常を理解する事が出来ない煩悩(存在欲)や自我意識が.無明に盲目的に妄想的に幸せ.快樂.喜びを求めて感管(眼耳鼻舌身意)を彷徨わせているから、却って真の幸せ.快樂.喜びを取り逃がしているのである。それに気付く事こそが.最上の[現世の利益]である。

それを黙って聴いていた青年は、路傍の如来の話が終わったのを見計らい.話はじめた
「路傍の如来よ、世の中では財産のある金持ちや、地位や称号や名誉を.或いは権威や権力.勢力を多く持っている人が.幸せな人だと言われますが、そうではないと路傍の如来は仰るのでしょうか?」
それを聴いて居られた路傍の如来は、静かに答えられた
「地位や財産、権威や権力と幸せとは別なものである。地位や権力や権威など一時の位に過ぎない。財産や資産などは無常なものである。親.子.知人もやがて別れる定めのものであり.健康や若さも必ず老い病み変化してゆく性質のものである。
どこに幸せがあるというのだろうかそれらはやがて必ずドゥッカへと戻り行く性質のものである。ただ目を背け幸せだと錯覚しているだけに過ぎないのだよ。
自分や自分の所有物に捉われ、目的であるかの如く錯覚し、それらへ執着するからドゥッカ(苦しみ.迷い.悩み.怖れなど)が生じる。
状態.事態が変化するからこそ.そこに進歩が生まれ.向上する事が出来.味わいがあり、まさしく生きているのだと気付けば迷う事も.悩み事も.怖れる事も.苦しむ事もなくなるだろう。
私はそれらを所有しながら色々な物事で悔い.悩み.苦しみ.怖れ.心を痛め.心を空しくしている人達を多く知っている。もっと言えばそれらは.一持てば十を欲し、十持てば百持てば千を欲し、千持てば万を欲し、限りある人生を欲望にまみれて「もっとくれ~もっとくれ~」と満たされる事を知らない餓鬼の心(不満)で生きている事に他ならず、外身は豊かに見えても貧しい心で生きているのだよ。
世俗ではこれを幸せというのだろうか?
無ければ無いで楽しく生きられる人が、有れば有ったで躊躇なく正しく使えるのだよ、また無ければ無いで不満や苦しみの中に居る人は、有れば有ったでやはり苦しむものなのさ。
私は所有の次元の事物を。便宜的なもの付随物に過ぎないと言った。
例えば.お金は大切であり、お金があれば色々な物事を叶える事が出来、悦びも与えるが、それは生命を一時.永らえさせた悦びに過ぎず.不老不死を贖うなど出来ないから、悦びを得続ける為に世界中のお金を独り占めにしても叶えることなど出来ないのだよ。まして便宜的な付随物を目的物だと錯覚して大切な時間を費やしてしまう事こそ、砂上の楼閣といわれるように砂の上にせっせと楼閣を立てても.一陣の風で崩れ去る空しい物事に大切な時間を浪費していた事にほかならないから、それに気付いた人達は皆、振り返って後悔して苦しむのだよ。それはそんな所有の次元の事物に魅入られて、歴史に名を遺した人達の辞世の句に現れている物事にだろう。
間違ってはいけないよ。便宜的な付随物に過ぎないもの、例えばお金の為に(目的として)生きてはいけない。自分らしく自分の存在.可能性などを生かす道を歩いてゆけば.お金などは後から付いてくるもの、限られた時間の中で.その生き様こそが貴方なのだから。人が褒めようが.認めようが.否定しようが.毀誉褒貶に惑わされてはいけない。それらも所有の次元の事物に過ぎない。貴方の真の価値は貴方自身が知っているのだから。
精神性が上がってゆけば魅入られるものも、変わってゆくもので、低い内は所有の次元の事物に魅入られる。
精神性が上がってゆくと人格や芸術性に魅入られ、高次に入ると可能性と真理に魅入られ、更に高まると霊的な一源の全体性に魅入られる。
単なる体内の分泌物(βエンドルフィン.内在性カンナビノイド.ドーパミンなど体内麻薬物質.体内快楽物質)による生理作用に過ぎない感覚的な快楽や喜びに.魅入られ追い求めようとする依存症から目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放され堅固で実存的な幸せがある事を説くのが真の仏教なのだよ。

路傍の如来の仰ったことを暫くの間.噛み締め思い返して感激したのか.その青年は目に涙を溜めながら話し始めた。
「路傍の如来が以前に語られた話を思い出しながら、今日の話しを思い返し、未だ漠然としていますが、瞑想でも得られなかった大切な扉がその固い錠前が外れ、啓き始めたような気がします。」
宜しい、宜しい、そのままその兆しが啓いてゆくよう染脳するのではなく、洗脳し叡智が顕現するよう瞑想に励みなさい。

路傍の如来は今日の説法に集って来た他の人々を見廻すと、
「他に、どなたか聞いてみたい事などをお持ちの方はいらっしゃいますか?」と皆に尋ねられた。
すると奥の方に座っていた細身の初老に差し掛かった中年の紳士が立ち上がり平身低頭して合掌をして話はじめた。
「路傍の如来よ...私は貴方にお教え頂こうと幾つかの質問を用意して、今日.出掛けて参りましたが、先程.二人の青年たちに施された.実に奥深いお話を拝聴し、私が用意してきた枝葉ような他愛ない質問などしては、今日の.この有難い説法を霞ませ如来の教えを取り損なうだけである気がします。今日の説法を胸に留めて帰り、後で良く吟味し味わいたいと思います。」
その言葉を聞いていた他の今日の説法に集まった人達も.皆、「その通り」と同じように頷いていた。

路傍の如来は皆に向かい、合掌を返すと「今日の私の話しを聴いて、皆さんが理解を示して下さったことを.心から感謝します。皆さんの依り一層の平安.繁栄.精進.進歩.活躍を祈ります、そして大いなる功徳がありますように.....」と唱えられ.低頭合掌されると、静かに踵を返すと.去って行かれた。

⭕路傍の如来の説法−1 〈晩冬の集い〉
https://bongteng.hatenablog.jp/entry/2019/08/06/103516
⭕路傍の如来の説法ー2 〈初夏の集い〉
https://bongteng.hatenablog.jp/entry/2019/08/06/123135
⭕路傍の如来の説法ー3〈秋口の集い〉
https://bongteng.hatenablog.jp/entry/2019/08/06/164411
⭕路傍の如来の説法ー4〈顕貴の集い〉
https://bongteng.hatenablog.jp/entry/2019/08/06/165356
●ドゥッカの定義(生きる苦しみ)
不安定さ.不完全さ.苦しみ.悩み.迷い.哀しさ.悔い.怖さ.心痛.恨み.儚さ.弱さ.脆さ.空虚さ.実質のなさ.惨めさ.無常さ.不満.無明さ.欲望など…
●所有の次元の事物(便宜的.客体への欲望)
お金.財産.物財.地位.名誉.称号.権威.権力.勢力.家族.承認.理解.若さ.健康.寿命.…)