仏道は犀角独歩に歩むもの

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【甘露の門は開かれたり.耳ある者は聞け】
仏道は犀角独歩に歩むもの
立ちたいと欲して立て、座りたいと欲して座れ、歩きたいと欲して歩け、走りたいと欲して走れ、眠りたいと欲して眠れ
世界は[意志と表象としての世界]であり、心の底から湧き上がる内発的な欲求を行為の動機とする悪しくない意志の具現こそが顕貴(ときめく)ような喜びや幸せへの方向であり.善因であり.甘露なる善果を得る道なのです
しかし未熟.愚か.怠惰.意志の弱い.無責任.自我なものたちは、易きに流れ.感覚に誑かされるものであり.その為の戒であり.律である.戒律を軽ろんじ.自惚れ.嘯く.寝呆けた者には金剛たる成仏はなし。

⭕自灯明と法灯明
如来の御姿(偶像)を拠り処とするなかれ.如来の説きし真理(法)を堅固で甘美な拠り処とし、自らを冷徹峻厳(客観的)によく眺め.分析し.思惟し.検証し.自らをよく理解し.煩悩(存在欲)や自我を制し.理性(知性)を心の真の主人となしたる時、人は得難き安寧を得る。

ランナーズハイと涅槃(ニルヴァーナ)
全ては六根(眼耳鼻舌身意)への六竟(色音香味触法)による刺激に対する五蘊作用(色受想行意)により、心象(概念)として投映された自分(自我)を通した虚像を現実だと[錯覚]し.[世界]だと誤認し思い込んでいるだけであり、その刻々の[時間的状況]と[空間的状態]による.体内分泌物質による作用としての感覚的現象(反応)に翻弄され 、日々.六世界(地獄界.餓鬼界.畜生界.修羅界.人界.天界)を彷徨っているのである。
※生物は寿命が尽き.往生(諦め)する瞬間には.多幸感.安心感.喜び.恍惚感などをもたらす体内麻薬物質(βエンドルフィン.内在性カンナビノイド)が分泌されるという.草食動物が肉食動物から逃げ切れず捕獲された時などにも分泌される作用でもあり、無明(本質的無知.思い込み)を打ち破り.無常性を理解して.自我意識と煩悩(存在欲)によるドゥッカ(苦.不満.不安定さ……)を受け入れ(諦観)、無明な拘り.自我意識や存在欲によるドゥッカへの嫌悪.逃避衝動を捨て去り捨離し.乗り越え覚醒し.解き放たれ解放された瞬間に分泌される。
ランナーズハイも涅槃(ニルヴァーナ)も同質の作用だとも言え、その甘露さは比ぶべきもないが、ある意味.凡俗でも涅槃(ニルヴァーナ)を疑似体現する事は出来るのであるが、哀しいかな人は走り続ける訳にも行かず、薬物に頼れば心身を蝕み.信仰に縋れば騙される.のが落ちなのではある。重ねて決して体内麻薬依存症(体内麻薬患者)になって走り続けたり、薬物依存症になって人生を棒にふったり、妄想的な神仏や偏った信仰に嵌り大切な時間と金銭を無駄に費やさない事を願っている・・・笑

●行為に集中すれば自我は消え、欲を制すれば煩悩は制され、変化生滅を受け入れればドゥッカ(苦.心痛.悔い.哀しみ.儚さ..…)は歓びの種となる。
※人を無明.暗愚に留めるもの
先入観.思い込み.思い違い.権威.世評.歴史.伝統.習俗.錯覚.固定観念.既成概念.迷信.虚妄.通説.染脳(洗脳).主観.自我.偏向情報.捏造知識…

⭕生体分泌物質(体内快楽.麻薬物質)
極限的爽快感.多幸感.静逸.安寧.愉悦.歓喜.充実感.達成感.満足感など生体分泌される[体内麻薬物質]
βエンドルフィン.内在性カンナビノイド.ドーパミン.........

⭕心の真の本当の主人を識る
※至高な存在(人間) <主人>
[理性.知性.無我.客観的な認識.識別能力]
※生物(動物)的な本能 <従者>
[煩悩.自我.妄想.主観的な認識.識別能力]
※生存の素因(存在欲)の煩悩的な欲望(渇愛)
※叡智に基づいた意欲と無執着
多くの人は[従者]を主人(私)だと勘違いして煩悩に主導されている。
感覚的.感情的.主観的に、便宜的.一時的手段.付随的に過ぎない[所有の次元の事物]を目的物だと錯覚して魅入られてしまう
知性(理性)により.煩悩(存在欲)に打ち勝ち、制御コントロール(従者化)した.存在の次元の勝者は、虚妄を捨て去り.真理に目覚め覚醒し.自我を乗り越え超越し.軛(くびき)を解き放ち解放され.連鎖継続の因縁(輪廻)を形成させているエネルギー(渇愛・存在への執着)を失なう

⭕条件による生滅(縁起)
迷いの片鱗さえないような如何に高度に調えられたヨガ.観照(ビッパサナー瞑想).止観(サマタ瞑想)であろうと、条件により生起し.条件により消滅する(縁起)に過ぎず、涅槃(ニルヴァーナ)とは無関係であると言え「悟りしと.山を下りれば.唯の豚」と喩えられる如く.本質的にはドゥッカ(不安定.不完全.苦.空虚.怖れ...)に他ならず、真理を得る為に捨てるべきものを.第三の目とか無識界入境とか超越的能力の顕現だとか[獲得]を目的とした所有の次元の事物(即ちドゥッカ)を欲する煩悩(存在欲)から解き放たれはしない。
解放は自らの努力と精進による[叡智]の顕現によって為される。

⭕立てよ座れ  立禅
お釈迦さまは偶々、座禅の時に悟られたのであり、座禅により悟られた訳ではなく.立ちて励み.歩いて励み.座して励み.臥して励まれたから堅固なる涅槃界(ニルヴァーナ)へと到達されたのである。

胎蔵界金剛界
穿った見方をすれば[金剛界胎蔵界]は、[梵我一如]を別の角度から説かれたものであり.それをバラモン教列のマントラ神秘主義派が其々の経典と曼荼羅として編纂され梵我一如から離れた思想となり、チベットを経て中国に渡り恵果阿闍梨が各界を両界とし真言密教を興し、日本に持ち帰った弘法大師空海が九会を一幅に纏めて[本質]を捉え難いのだか、その意味する処は[梵我一如]であり、一源のエネルギー(梵)が生命体(多様体・マニフォールド・離合集散)として集合して母体に胎蔵され胎蔵界(我・生命.心的時空)を形成してゆく様を表現しているのが胎蔵界曼荼羅であり、生命体(人間.我)が真理を顕現させ.形成された次元を消滅させ.解き放たれて.金剛界(天界.彼岸)へと離散(マニフォールド)してゆき一源のエネルギーへと戻る様を表現しているのが金剛界曼荼羅であり、生への執着(渇愛)を断ち切れない者は.この世界(此岸)の淵を彷徨った後、その業(カルマ・形成力)に遵って輪廻(連鎖.継続)の激流を流れてゆく。

⭕梵我一如
この世界(現象世界)は、途方もなく膨大な一源のエネルギー(梵)の連鎖する流動なのです
一源のエネルギーの安定(空性)した世界(彼岸)に生じた一点の揺らぎ(不安定性)の安定化運動として膨張.拡大.発展.進化.加速により大宇宙は存在しているのです。
無色(非物質・空)の一源のエネルギーの一部(約30%)が色化(物質化)し、その色化(物質化)した一源のエネルギーが離合集散(マニホールド)して素粒子を形成し、素粒子が離合集散(マニホールド)して原子を形成し、原子(陽子.中性子.電子)が離合集散(マニホールド)して分子を形成し、分子が離合集散(マニホールド)して物質を形成し、物質の一形態が進化して生命へとなるのですが、知的生命体とは物質的要素のみにて形成されるものではなく、物質的要素に生じた次元的形質に無色(非物質)な一源のエネルギーが心的エネルギーとして作用する事により知的生命体は形成されるのであり、物質的要素への次元形成により知的生命体(我)は存在しているのです、これが梵我一如であり、主宰的な魂により存在しているのではありません。
喩えれば、楽器(次元)が形状.変化により汎ゆる音色を奏でるように、生命の次元もその形状.変化により喩えれば、楽器(次元)が形状.変化により汎ゆる音色を奏でるように、生命の次元もその形状.変化により.生じて通過する一源のエネルギー(心的エネルギー)が汎ゆる精神性を奏でるのです。
全生命は一源であり.同一であり.汎ゆる形体として現象しているだけなのです。
原人論
形骸の色(身体)、思慮の心
無始より此のかた因縁の力の故に、
念々に生滅して、相続して窮まることなし、
水の涓々(けんけん)たるが如く、
燈の炎々たるが如し、
心身、仮に合して一に似、常に似る
凡愚.これを覚らずして.これを執って我とす
此の我を宝とするが故に、貪瞋痴などの三毒(不善処)を起こす
三毒.意を撃って、
身口を発動し一切の業(カルマ)をつくる

⭕因縁起果報
●確率的な今生に在りて、幸運を掴むも唯、確率なり
宝クジは買わねば当たらぬが.当たるも外れるも唯、確率なり
当たりて喜び、外れて悲しむ者多かれど、
災厄.不運も又、確率なれど、今日の災厄.不運に当たりし確率をを嘆く者在れど、今日の災厄.不運の確率から外れたるに、安堵.安寧する者少なし
唯、因縁起果報なり

[ 因 ][ 縁 ][ 起 ][ 果 ][ 報 ]
[善 因][ 善 縁][生 起][善 果][善 報]
[不善因][不善縁][不生起][不善果][不善報]
[悪 因][悪 縁][集 起][悪 果][悪 報]
⭕殻を打ち破る
あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ
況(いわん)や朋友をや。
犀(さい)の角のようにただ独り歩め。
36.交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
37.朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
38.子や妻に対する愛著は、確かに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。
筍 (たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。39.林の中で、縛(しば)られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
41.仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。
45.もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。47.われわれは実に朋友を得る幸を讃(ほ)め称える。自分より勝(すぐ)れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。52.寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻(あぶ)と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。
53.肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。
56.貪ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、見せかけで覆(おお)うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。
57.義ならざるものを見て邪曲(じゃきょく)にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽(ふけ)って怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。
58.学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。
59.世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。
60.妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。63.俯(ふ)して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。
65.諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。
67.以前に経験した楽しみと苦しみを擲(なげう)ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。
68.最高の目的を達成するために努力策励(さくれい)し、こころが怯(ひる)むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。
69.独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。
70.妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。
73.慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。
74.貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
75.今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。