喜び.快楽.幸せを求めて

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人は皆、喜び.快楽.幸せを求めて生きている、例え此れから死のうとする人でも.ガソリンを買い込み火付けを目論む罪人でも.他者をひれ伏せようと攻めたてる人でも、皆.その中に喜び.快楽.幸せを見い出すからに他ならない。
⭕人々が[喜び.快楽.幸せ]だと思い.錯覚しているものとは、感覚器官(眼耳鼻舌身)と意識に刺激を与えているだけでしかなく、それは条件により生じ.条件により消えてしまう性質の儚く無常な現象に過ぎないものに執着しているだけ。
心苦も同じ行程を経て生じ.執着しなければ消えてゆく性質のもの。
⭕気を紛らわす(外世界への集中)
ドゥッカ(苦しみ.悩み.心痛.不満.空しさ...)が蓄積してくると人は気を紛らわそうとする。その[気]とは気分であり.煩悩(存在欲)の欲望であり.五感官(眼鼻耳舌身)を駆使して心に刺激を与えようと探し回る。感覚器官は外世界の何かに集中する事により.一時的な安定.喜び.快楽,多幸感が得られた経験則により.たとえそれが本当は必要ないもの事.つまらないもの事.くだらないもの事.どうでもいいもの事.不善なもの事であったとしても.ドゥッカ(苦.悩み.心痛.不満.空しさ)による不快さに耐えられずに.五感官を駆使して意識を外世界に向けて何かしらを探し求めるのだが、存在欲にとりプラスと感じるもの事へは引き寄せたいと貪りの感情を生じさせ、存在欲にとりマイナスと感じるもの事へは遠ざけたいと怒りの感情を生じさせ、プラスかマイナスか判断.判別できないもの事には痴愚.不満の感情を生じさせる(これが貪瞋痴の三毒という不善処である。) 
しかし外世界のもの事への集中は依存症になる傾向がある事に注意しなければならない。
⭕行為と働き
人間の活動には[行為]と[働き]とがあり、意志.意図を以って行う[行為]ー業(カルマ)と、意志.意図を伴わない[働き]を区別して、一挙手一投足の[行為]に集中し、自我意識(末那識)と煩悩(存在欲)が生じる隙を与えないように心掛けながら、ゴチャゴチャと雑念せず、妄想に気付き妄想に入らず、自分が自分の真の主(あるじ)とならん。
⭕至高の瞑想(安堵の呼吸)
ヨガ.禅定(ジャーナ.禅那禅.座禅).観照.内観....と瞑想法にも色々と在り.止観という無念無想法と.観照法という(ヴィッパサナー法)を中心にして健康ヨガなるものも見受けられ、慈悲について掘り下げたり、ラベリングを試みたりというテクニックから.中には頭部に電極を装着したり.鈴や鐘を鳴らして刺激を与えるような陳腐なものまで存在するが、目的は集中力の鍛錬や、内観と内々観による自分の発見や、心の動揺がなくなった安定した心の状態や、集中し統一された深い思惟.思推.洞察により現れる叡智を得る事であり、お釈迦様も明確に仰るように瞑想により悟る事は出来ず瞑想も.また条件により生起し.条件により滅する性質のもの(縁起)に過ぎず、一過程であり錯覚させるものである事を自覚しなければ欲心により.第三の目の開発だとか.超能力の獲得だとかカルトな邪道に陥らせる危険がある事も忠告されているように、要は座禅でも立禅でも.椅子に座ろうが横臥しようが目的地に到達しなければ時間の無駄となるのであり、釈迦尊(ブッダ)以降約2500年の間、真の目的地には誰も到達していない現実から顧みて、ご存じないかもしれないが.昔のテレビで.男の人が小指を立てて「私はこれで会社を辞めました...」と宣い、別の男性が「私はこれでタバコを止めました...」と禁煙パイポを指し示すコマーシャルでもないが.路傍の如来は「私はこれで目的地(叡智による真理の顕現と涅槃(ニルヴァーナ)に到達しました」絶対真理への叡智と.涅槃(ニルヴァーナ)へと導く瞑想法こそが[至高の瞑想]なのである。
⭕安堵の瞑想(安寧の瞑想)
至高の瞑想と聞くと、他の色々な瞑想法でさえ厄介なものだから、実に厄介なものだろうと推測なさるだろうが差に非ず、先ず時を選ばず.第ニに場所を選ばず.第三に形を選ばず.第四に無明.未熟な者の能書き.戯れ言.狭見(プラパンチャ)などに汚染されない。
仕事.趣味.余暇に集中できる時は、当然にそれらに集中し、合間々々の.気分を紛らわそうと意識が散漫と外世界を彷徨ったり.どうでもいいもの事.下らないもの事.つまらないもの事.愚かしいもの事に.心を取られゴチャゴチャと雑念に入り込み.妄想へと陥ろうとする時、それに気付き.心を落ち着け.肩の力を抜き.体幹を調え.意識を呼吸に集中させ.呼気.吸気を自覚して安堵(平安)の呼吸へと導くだけである。
安堵(平安)の呼吸とは[智慧]を前提とし.解り易く言えば[ホッ~とする]呼吸をする事であり、健康.長寿.幸運.叡智へと繋がる呼吸法でもある
[智慧]の例として先ずお釈迦様が残された名句として「今日も朝から借金取りが.金を返せ!金を返せ!とやって来ない事は.こよなき幸せである。」ホッとする一句である。
想いを呼吸に乗せて[ホッとする]するのであり、例を挙げたら人それぞれで幾らでもあるもので、今まで経験したドゥッカ(苦)や知識.情報が生かされ.苦が.楽の種となる瞬間なのである。
普段.生きる上で最も重要な呼吸に注意を向けている人など殆ど居ないのだが、綺麗な空気か汚れた空気かという問題以前に、人は約1分間に30〜40回位.一日約5万回、一年間に約1800万回 、人生80年で約15億回の呼吸をし、その一息.一息に[想い]を乗せている事に気付いていない。
毎日.毎時.不満や貪欲を乗せて生きてる人や.怨み辛みや怒りを乗せて生きてる人もいる.一方、喜び.愛情を乗せて生きてる人もいる.
その人.その人には因果律(縁起の理法)に遵って.当然に大きな差となって現れてくる。
安堵.安寧を乗せた呼吸の甘露を奥深く味わう人には.深淵はその姿を現し.叡智は自ずと顕現する。
因みに物事の変化生滅を.在るがままに.奥深く.そして甘露に.味わうには、心を情緒にも論理にも偏らない中道に置き、集中力を高めてゆくことである。深淵なる理法に遵った膨大なるエネルギーと生命による活動が明瞭に映しだされる。
([根源エネルギー]が因果律( 縁起・因縁起果報)に遵って醸し出す波動により色化(物質化)し、色化(物質化)した[根源エネルギー]が因果律(縁起・因縁起果報)に遵って寄り集まり.[素粒子]を形成し、[素粒子]が因果律(縁起・因縁起果報)に遵って離合集散(マニホールド)して[原子]を形成し、[原子]が因縁律(縁起・因縁起果報)に遵って離合集散(マニホールド)して[分子]を形成し、[分子]が因果律(縁起・因縁起果報)に遵って離合集散(マニホールド)して[物質]を形成し、[心的エネルギー]と[物質]とが[生命体]を形成し、途方もなく膨大な形成された[物質]と[生命体]と[根源エネルギー]が不安定性の安定化運動による膨張.拡大.継続.変化生滅と離合集散の中に大宇宙を形成している)
※因縁起果報は別項にて詳細に解説
【安堵.安寧の一例】
♡今日も元気に生きている。
♡美味しく.ご飯を頂ける。
〈ご馳走の三要素〉 1.空腹 2.記憶3.感謝
♡生きるのに必要なものは満たされている。
基地外にいきなり後から襲われない。
♡紛争は多少はあるが平和な世の中。
♡官憲においコラ.貴様!と誰何されない。
♡もの事を客観的に判断できる知性が具わっている。(無駄にしてない)
♡お陰様とお互い様
♡変化生滅の顕貴の世界